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猫又伝説。日本の妖怪としての猫の歴史

猫又(ねこまた)。尾が二股に分かれ、人の言葉を話し、死者を踊らせる──日本の妖怪伝承の中で、猫又ほど人々に恐れられ、同時に愛されてきた妖怪はいません。その起源は鎌倉時代にまで遡り、江戸時代には百鬼夜行の常連として浮世絵に描かれました。なぜ猫は妖怪になったのか。なぜ尾が二股に分かれるのか。日本人と猫の1000年以上にわたる畏怖と共生の歴史を、妖怪学の視点からたどります。

目次

猫又の最古の記録──鎌倉時代『明月記』

猫又に関する最古の文献記録は、鎌倉時代の貴族・藤原定家の日記『明月記』です。天福元年(1233年)の記述に「南都(奈良)に猫又あり。人を食ふ」という内容が見られます。この段階では猫又は山中に棲む大型の獣として記録されており、飼い猫が化けるという概念はまだありません。

続く鎌倉後期の説話集『古今著聞集』(1254年)にも猫又の記述があり、ここでは猫又が奈良の山中で人を襲ったとされています。初期の猫又は「山の妖怪」であり、家猫とは別の存在として認識されていたのです。

吉田兼好の『徒然草』(1330年頃)第89段には、「奥山に猫又といふものありて、人を食ふなると人の言ひけるに」と書かれています。興味深いのは、兼好がこの伝説を実際に信じていたわけではなく、猫又を恐れる人の滑稽さを描いたユーモラスな随筆として書いていることです。溝に落ちた法師が「猫又に襲われた」と騒いだが、実は飼い犬だった──という落ちがつく逸話は、当時すでに猫又伝説が民間に広く浸透していたことを示しています。

なぜ「尾が二股」に分かれるのか

猫又の最大の特徴は、尾が二股に分かれていることです。「又」の字は「分岐する」を意味し、「猫又」は文字通り「尾が分かれた猫」です。この設定はどこから来たのでしょうか。

長寿説──歳を取った猫が化ける

最も広く信じられてきたのは、「猫は長生きすると尾が二股に分かれて妖力を得る」という信仰です。具体的な年数は文献によって異なりますが、10年から13年以上生きた猫が猫又に変化するとされていました。

この信仰が生まれた背景には、当時の猫の平均寿命が短かったことがあります。江戸時代の飼い猫の平均寿命は推定5〜8年程度。10年以上生きる猫は珍しく、「普通ではない=妖怪的な力を持つ」と結びつけられたのです。

尻尾の形状──ジャパニーズ・ボブテイルとの関連

日本猫には尾が短く曲がった「かぎしっぽ(鍵尻尾)」の個体が多く存在します。遺伝的な尾骨の変形によるもので、尾が途中で折れ曲がったり、短く丸まったりします。この変形した尾が、暗がりで「二股に分かれている」ように見えたという説もあります。

興味深いことに、日本では短い尾の猫が好まれ、長い尾の猫は避けられる傾向がありました。「尾が長い猫は猫又になりやすい」という信仰が、選択的な飼育を通じて日本猫の遺伝子プールに影響を与え、結果として短尾の猫が増えた可能性があるのです。猫又伝説が日本猫の遺伝的特性を変えたとすれば、これは文化が生物の進化に影響を与えた稀有な事例です。

江戸時代──猫又文化の全盛期

猫又伝説が最も盛り上がったのは江戸時代です。浮世絵師たちが猫又を好んで描き、怪談集には猫又の逸話が溢れました。

歌川国芳──猫又を愛した浮世絵師

猫好きとして知られる歌川国芳(1797-1861)は、猫又を含む猫の妖怪を数多く描きました。国芳の猫又は恐ろしさと愛嬌が同居する独特の存在感を持ち、手ぬぐいを被って踊る猫又や、行灯の油を舐める猫又など、どこかユーモラスな姿で描かれています。

国芳のアトリエには常に数十匹の猫がおり、猫を膝に乗せながら絵を描いていたと伝えられています。彼にとって猫又は「恐怖の対象」ではなく、猫への深い愛情と観察眼が生み出した「猫の究極形態」だったのかもしれません。

関連記事:歌川国芳――江戸のストリートアーティストは無類の猫好きだった

鍋島化け猫騒動──最も有名な猫又怪談

佐賀藩(鍋島藩)を舞台にした「鍋島化け猫騒動」は、日本三大化け猫伝説のひとつに数えられます。殺された飼い主の恨みを晴らすため、猫が化け猫となって藩主を祟る──という物語です。

歌舞伎や講談の人気演目となり、明治時代には映画化もされました。1949年の映画『怪猫 鍋島怪猫伝』は日本ホラー映画の古典として現在も知られています。猫又伝説はエンターテインメントの源泉としても大きな役割を果たしてきたのです。

その他の著名な化け猫伝説

  • 岡崎の化け猫:三河国岡崎(現在の愛知県岡崎市)に伝わる化け猫伝説。老女に化けた猫が旅人を惑わす。
  • 有馬の化け猫:有馬温泉に伝わる伝説。温泉の湯気の中から猫又が現れるとされた。
  • 猫岳の化け猫:熊本県阿蘇の猫岳に棲むとされた大猫又。山の名前にまで猫又伝説が残っている珍しい例です。

猫又と「猫の踊り」──なぜ猫は踊るのか

猫又伝説に頻出するのが、「猫が手ぬぐいを被って踊る」という描写です。この奇妙なイメージはどこから来たのでしょうか。

江戸時代、猫が夜中に後ろ足で立ち上がる行動が目撃されることがありました。これは現代の猫行動学では、高い場所にある物に前足を伸ばす行動や、遊びの中で立ち上がる行動として説明されます。しかし、行灯の薄明かりの中でこの姿を見た人々にとって、それは「猫が人間のように立って踊っている」ように映ったのです。

「手ぬぐいを被る」という要素は、猫が布をかぶって遊ぶ行動の観察に基づいている可能性があります。猫が布や紙袋に頭を突っ込むのは現代でもよく見られる行動で、江戸時代の人々がこの行動を目撃し、「手ぬぐいを被って踊る猫又」の伝説に発展させたと考えられます。

猫又と行灯の油──猫は本当に油を舐めるのか

猫又伝説のもうひとつの定番が「行灯の油を舐める」です。浮世絵にも頻繁に描かれるこの行為は、実は実際の猫の行動に基づいています。

江戸時代の行灯には魚油(主にイワシ油)が使われていました。魚油は猫にとって非常に魅力的な匂いを発します。猫が行灯に近づいて油を舐めるのは、脂肪とタンパク質を求める肉食動物の自然な行動です。しかし、暗闘の中で行灯の炎に照らされた猫の顔──目が光り、舌を出して油を舐めるその姿は、確かに「妖怪的」に見えたことでしょう。

魚油の行灯が菜種油に切り替わっていく過程で、猫が行灯に近づく行動は減少し、それに伴って「猫又が油を舐める」という怪談も徐々に廃れていきました。照明技術の変化が妖怪伝説を変えたという、技術と文化の興味深い関係です。

現代の猫又──妖怪から「萌え」へ

現代の日本において、猫又は恐怖の対象からポップカルチャーのキャラクターへと変貌を遂げています。

  • アニメ・漫画:『夏目友人帳』のニャンコ先生(斑)は猫又がモチーフ。『ゲゲゲの鬼太郎』の猫娘も猫又の系譜に連なるキャラクターです。
  • ゲーム:『妖怪ウォッチ』のジバニャンは現代版の猫又といえます。『ポケットモンスター』のエスパータイプのポケモン・エーフィの二股の尾も猫又の影響が指摘されています。
  • 神社仏閣:東京・自性院の「猫地蔵」、新宿区の「猫寺」として知られる自性院など、猫又伝説を今も伝える寺社が各地に存在します。

恐怖から親しみへ。猫又の変遷は、日本人の猫との関係性の変化そのものを映し出しています。妖怪として恐れていた時代は、猫の行動を理解できなかった時代。猫又を「かわいい」と感じる現代は、猫の行動学が進歩し、猫との距離が縮まった時代です。

関連記事:猫アートの全史。浮世絵からNFTまで、猫は常にアートの中心にいた

世界の「猫の妖怪」との比較

猫が妖怪・超自然的存在とされるのは日本だけではありません。

地域 名称 特徴
日本 猫又・化け猫 尾が二股に分かれる。長寿の猫が変化する。踊る、人語を話す
アイルランド ケット・シー(Cat Sith) 胸に白い斑点がある巨大な黒猫。妖精の一種。葬儀で遺体の魂を盗む
スラヴ圏 バケネコ(Bakeneko)に相当する民話 魔女が猫に変身する。特に黒猫が魔女の化身とされた
エジプト バステト 猫の頭を持つ女神。家庭と豊穣の守護神。殺すと死刑
北欧 フレイヤの猫 女神フレイヤの戦車を引く2匹の巨大猫。ノルウェージャンフォレストキャットの祖とも

共通するのは、猫の「理解しがたい行動」が超自然的な解釈を呼んだという構造です。夜行性で、暗闇で目が光り、高所から無音で着地し、気まぐれに振る舞う。この「人間には制御できない」存在感が、世界中で猫を神・妖怪・魔物の領域に位置づけてきたのです。

FAQ

Q. 猫又と化け猫の違いは何ですか?

厳密な区別は文献によって異なりますが、一般的には「猫又」は尾が二股に分かれた猫の妖怪を指し、「化け猫」は人間に化けたり超常的な力を発揮する猫全般を指すより広い概念です。猫又は化け猫の一種とも言えます。初期の猫又は山中に棲む野生の妖怪でしたが、江戸時代以降は飼い猫が年を経て変化するという設定が定着し、化け猫との境界が曖昧になりました。

Q. 日本で猫の尻尾が短い個体が多いのは猫又伝説のせいですか?

直接の因果関係を証明する科学的データはありませんが、有力な仮説のひとつです。「尾が長い猫は猫又になる」という信仰から、長い尾の猫を避けて短尾の猫を選択的に飼育した結果、短尾の遺伝子が日本の猫集団に広がった可能性が指摘されています。ジャパニーズ・ボブテイルの短い尾は遺伝的変異によるものですが、その遺伝子が日本で高頻度に保たれた背景に文化的選択圧があったとする見方は、遺伝学者の間でも議論されています。

Q. 現在も猫又を祀っている場所はありますか?

はい。東京・新宿区の自性院は「猫寺」として知られ、猫地蔵が安置されています。太田道灌が黒猫に導かれて敵の襲撃から逃れたという伝説に基づくものです。また、佐賀県の鍋島藩ゆかりの寺院や、各地の猫を祀る神社には猫又伝説にまつわる史跡が残っています。猫の島として有名な田代島(宮城県)の猫神社も、猫を超自然的な存在として敬う文化の延長線上にあるといえるでしょう。

まとめ

猫又伝説は、日本人が猫という動物をどう見てきたかの記録です。鎌倉時代に山中の怪物として登場し、江戸時代には飼い猫が化けるという身近な恐怖に変わり、現代ではアニメやゲームの愛されるキャラクターになった。この変遷は、猫との距離が縮まるにつれて恐怖が親しみに変わっていく、1000年の人猫関係史そのものです。

行灯の魚油を舐める猫の顔が妖怪に見えた時代と、SNSで猫の動画を共有する現代。猫の行動は何も変わっていません。変わったのは、人間の理解の深さです。しかし、暗闘の中で猫の目が光るあの瞬間──そこに一瞬だけ猫又の影を見てしまう感覚は、きっと1000年前から変わっていないのではないでしょうか。

関連記事:浮世絵の中の猫たち。江戸時代の猫ブームを読む招き猫のルーツを辿る。豪徳寺と今戸神社、どっちが発祥か問題

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執筆:URAYAMA NO NEKO / Tetsu Onodera

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