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猫を追う写真家たち。岩合だけじゃない、新世代の猫写真

日本で「猫の写真家」と言えば、ほとんどの人が岩合光昭という人。世界を猫で歩く写真家の眼を思い浮かべるでしょう。NHK「世界ネコ歩き」の存在感は圧倒的で、猫写真というジャンルを日本の大衆文化に定着させた功績は揺るぎません。

しかし、岩合光昭の「後」の世代に、まったく異なるアプローチで猫を撮り続ける写真家たちがいます。ストリートスナップ、跳躍の瞬間、モノクロの叙情、猫のいる「不在」。それぞれが独自の視点を持ち、猫写真の可能性を広げています。この記事では、知っておくべき猫写真家たちを紹介します。猫写真の世界は、岩合光昭から始まり、しかし岩合光昭で終わるわけではないのです。

目次

沖昌之――東京の路上に「必死な猫」を見つけた男

沖昌之(おき まさゆき)。東京都出身。アパレル業界からの転身で写真家になった異色の経歴を持ちます。代表作は『必死すぎるネコ』シリーズ。猫がジャンプに失敗する瞬間、狭い隙間に無理やり入ろうとする瞬間、バランスを崩す瞬間。猫の「かっこ悪い一瞬」を切り取り続けています。

沖昌之の面白さは、「かわいい」ではなく「おかしい」を軸にしたところです。猫写真は長らく「かわいさ」の最大化がゴールでしたが、沖はそこから完全に逸脱しました。猫の身体が持つ滑稽さ、猫なのにうまくいかない瞬間の愛おしさ。その視点は、猫写真に「ユーモア」という新しい表現軸を持ち込みました。

しかし、沖昌之を単なる「おもしろ猫写真家」と見るのは間違いです。あの一瞬を捉えるには、ストリートフォトグラファーとしての反射神経と、猫の行動を予測する観察力が必要です。笑いの裏に、写真家としての高い技術が隠れています。

五十嵐健太――猫を「飛ばす」写真家

五十嵐健太(いがらし けんた)。「飛び猫」シリーズで知られる写真家です。猫がジャンプする瞬間だけを追い続け、空中で体をひねる猫、前脚を思い切り伸ばす猫、着地直前の猫を撮影しています。

五十嵐の作品がユニークなのは、猫の「身体能力」にフォーカスしている点です。多くの猫写真が猫の表情や仕草を被写体にする中で、五十嵐は猫の筋肉の動き、関節の可動域、空中姿勢制御能力に注目しています。

猫は体高の5倍以上の高さにジャンプでき、空中で体を180度回転させて着地できます。この身体構造の驚異を、写真という静止画で伝えるには「飛んでいる瞬間」を撮るしかない。五十嵐健太の「飛び猫」は、猫を「かわいい」から解放し、「すごい」の領域に引き上げた作品です。本棚に置きたい猫写真集10選。アートブックとしての猫でも取り上げていますが、写真集で見ると空中の猫のシークエンスに圧倒されます。

新美敬子――世界の街で猫に出会い続ける旅人

新美敬子(にいみ けいこ)。世界40か国以上を旅し、各国の街で暮らす猫を撮影し続けている写真家です。ヨーロッパの石畳、アジアの市場、地中海の漁港。猫がいるあらゆる場所の空気ごと写真に収めています。

新美敬子が岩合光昭と異なるのは、「旅人の視点」で猫を撮っている点です。岩合が「動物写真家が猫を撮る」のに対し、新美は「旅する人が猫に出会う」。その違いは写真に明確に表れます。新美の写真には「初めてこの場所に来た」という新鮮な驚きがあり、猫との出会いが旅の偶然として記録されています。

猫を撮ることは街を撮ることだ、とよく言われますが、新美敬子の作品はその命題の最も忠実な実践です。猫を撮ることは、街を撮ること。猫写真展の楽しみ方で触れた「背景を見る」技術は、新美の写真を見るときにこそ活きてきます。

関由香――日本の地方を猫で記録する

関由香(せき ゆか)。日本各地の漁港、温泉街、離島、商店街で暮らす猫を撮り続ける写真家です。都市部のおしゃれな猫カフェではなく、地方の暮らしに溶け込んだ「生活の中の猫」が被写体です。

関由香の写真には「この猫はこの場所でしか撮れなかった」という土地の固有性が宿っています。港町の猫は港町の顔をしていて、温泉街の猫は温泉街のリズムで動く。その土地の空気を猫が体現しているような写真が、1枚1枚に凝縮されています。

日本の地方は年々、姿を変えています。商店街はシャッターが下り、漁港は人が減り、温泉街は旅館が廃業する。関由香が撮った猫と場所の組み合わせは、数年後にはもう見られない風景かもしれない。その意味で、関由香の仕事には「記録」としての重みがあります。

久方広之――モノクロで猫の存在を抽出する

久方広之(ひさかた ひろゆき)。モノクロフィルムで猫を撮る写真家です。色を排除することで、猫の体の「かたち」と「光」だけが浮かび上がります。

カラー写真の猫は「かわいい」が先に来ます。毛並みの色、瞳の色、背景の色。色彩情報が「かわいさ」を構成する大きな要素だからです。モノクロで猫を撮ると、色の情報がなくなり、代わりに光と影、形と質感だけが残ります。そこに現れるのは、かわいさとは別の次元の「猫の存在感」です。

モノクロの猫写真は、写真を「見る」力を鍛えてくれます。色に頼らず、構図と光だけで写真を読む訓練になるのです。

ミゾタユキ――猫と人の「間」を撮る

ミゾタユキ。猫だけでなく、猫と人間の関係性を撮る写真家です。猫を膝に乗せるおじいさん、猫に話しかける商店街の店主、猫を見つめる子ども。猫と人間のあいだに流れる空気を捉えた作品が特徴です。

多くの猫写真家が「猫だけ」をフレームに収めるのに対し、ミゾタユキは意図的に「人間」を入れます。猫を撮るのではなく、猫と人間のあいだに生まれる関係を撮る。その視点は、猫写真を「ヒューマンドキュメンタリー」の領域に引き寄せています。

なぜ今、猫写真家が増えているのか

ここで紹介した写真家たちに共通するのは、「かわいい猫を撮る」ことを目的にしていないという点です。沖昌之は「おかしさ」を、五十嵐健太は「身体能力」を、新美敬子は「旅」を、関由香は「土地」を、久方広之は「かたち」を、ミゾタユキは「関係」を撮っています。猫は入り口であり、その先にある表現の可能性は無限に広がっています。

SNSとカメラの進化によって、猫の写真を撮る人は爆発的に増えました。その中から「撮る人」を超えて「写真家」へと踏み出す人が出てくるのは、必然的な流れです。「ねこ休み展」に行ってわかった、猫写真のネクストトレンドのような展覧会が新人クリエイターの登竜門として機能していることも、この流れを加速させています。

猫写真の世界は、岩合光昭が切り拓き、次の世代が広げ、さらに次の世代が深めています。その豊かさは、猫という被写体の底知れなさの証明でもあります。

よくある質問(FAQ)

Q. 猫写真家になるにはどうすればいいですか?

特別な資格は不要ですが、「猫の写真を撮っている人」と「猫写真家」のあいだには大きな溝があります。その溝を埋めるのは、継続的な作品発表と独自の視点です。まずはInstagramなどのSNSで作品を毎日発表し、自分の「撮り方」を確立すること。その上で、ねこ休み展やニャンフェスなどの猫展覧会に応募してリアルの場で作品を見てもらう機会を作ること。写真集を自費出版する手段もあります。大切なのは「自分は猫を通じて何を撮りたいのか」を明確にすることです。

Q. 猫写真で生計を立てることは可能ですか?

猫写真だけで生計を立てている写真家は、日本では非常に限られています。多くの猫写真家は、写真集の印税、写真展の売上、メディアへの寄稿、グッズ販売、ワークショップ、企業案件など複数の収入源を組み合わせています。岩合光昭クラスでもテレビ番組の出演や写真展の巡回が重要な収入源であり、「猫の写真を撮って売るだけ」で成り立っている人はほぼいないと考えてよいでしょう。写真の技術だけでなく、ブランディングとビジネス設計が必要な世界です。

Q. この記事で紹介された写真家の写真展はどこで見られますか?

岩合光昭の写真展は全国の百貨店や美術館を巡回しており、公式サイトでスケジュールが公開されています。沖昌之、五十嵐健太はねこ休み展の常連出展者であり、個展も不定期で開催しています。各写真家のInstagramやX(旧Twitter)をフォローしておくと、展覧会の告知をいち早くキャッチできます。2026年の猫アート展まとめ。行くべき展覧会カレンダーも参考にしてください。

まとめ

猫写真家の世界は、岩合光昭ひとりの独壇場ではありません。沖昌之のユーモア、五十嵐健太の躍動感、新美敬子の旅情、関由香の土地性、久方広之のモノクロ、ミゾタユキの人間観察。それぞれがまったく異なる角度から猫を捉え、猫写真の可能性を広げています。「猫を撮る」という行為のバリエーションは、思っているよりもはるかに広い。お気に入りの猫写真家を見つけることは、猫の見え方そのものを変えてくれる体験です。

URAYAMA NO NEKOについて

URAYAMA NO NEKOは、猫カルチャーを発信するブランドです。猫のいる風景、猫と暮らす空間、猫が登場するアートやデザイン。猫を取り巻く文化のすべてを、カルチャーメディアとして記録し、発信しています。オリジナルグッズはこちら → SHOP

猫の世界をもっと深く。URAYAMA NO NEKOの最新情報はInstagramで → @urayamanoneko


執筆:URAYAMA NO NEKO / Tetsu Onodera

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