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猫ミイラの謎。なぜ古代エジプト人は猫をミイラにしたのか

大英博物館には、猫のミイラが展示されています。包帯で丁寧に巻かれ、顔の部分には猫の耳と目が描かれている。初めて見る人は少し驚くかもしれません。なぜ古代エジプト人は、猫を人間と同じようにミイラにしたのか。答えは「猫を愛していたから」だけでは足りません。そこには信仰、産業、そして現代の感覚では理解しがたい「聖なる矛盾」が潜んでいます。この記事では、猫ミイラの歴史を掘り下げ、古代エジプトにおける猫と人間の関係の本質に迫ります。

目次

猫の神格化──バステト女神と猫崇拝の始まり

猫ミイラの話をする前に、まず古代エジプトにおける猫の位置づけを理解する必要があります。

エジプトに猫がやってきたのは、紀元前4000年頃とされています。最初の役割はネズミの駆除でした。ナイル川の氾濫後に収穫された穀物をネズミから守るため、野生の猫が人間の集落に引き寄せられ、やがて共生関係が生まれました。

紀元前2000年頃には、猫は単なる害獣駆除の道具から「神聖な存在」へと昇格します。その象徴が、猫の頭を持つ女神「バステト」です。バステトはもともとライオンの姿をした戦いの女神「セクメト」でしたが、時代とともに穏やかな家猫の姿へと変化し、家庭、出産、豊穣、喜びの守護神となりました。

バステトの聖地であるナイル川デルタのブバスティス(現在のテル・バスタ)には巨大な神殿が建てられ、年に一度の大祭には70万人が集まったと、ギリシャの歴史家ヘロドトスが記録しています。これはエジプト最大級の宗教祭典でした。

猫ミイラの作り方──人間と同じ工程で

古代エジプトの猫ミイラは、基本的に人間のミイラと同じ工程で作られました。

  • 内臓の除去:腹部を切開し、内臓を取り出します。猫の場合は脳の除去は行われないことが多かったようです
  • ナトロンによる乾燥:天然の炭酸ナトリウム鉱物「ナトロン」で体を覆い、40日ほどかけて水分を抜きます
  • 油脂と樹脂の塗布:乾燥した体に香油や樹脂を塗り、防腐処理を施します
  • リネン包帯による包装:丁寧にリネンの布で巻いていきます。高級な猫ミイラでは、幾何学模様の美しい包帯が施されました
  • マスクの装着:猫の顔を模したマスクや、耳の形を再現した装飾が施されることもありました

裕福な家庭の猫ミイラには、宝石や装飾品が一緒に埋葬されることもあったといいます。棺(ひつぎ)もブロンズや木で精巧に作られ、猫の姿をかたどったものが多く出土しています。

3つのタイプの猫ミイラ──目的はそれぞれ違った

猫ミイラには、大きく分けて3つのタイプがあります。この区別が重要です。

1. ペットとしてのミイラ

飼い主が愛猫の死後、来世でも一緒にいたいと願って作ったミイラです。飼い主の墓に一緒に埋葬されることが多く、最も丁寧に作られています。猫が死ぬと、家族全員が眉毛を剃って喪に服したとヘロドトスは記録しています。これは家族の死と同等の悲しみを表す行為でした。

2. 奉納用のミイラ(ヴォーティブ・ミイラ)

バステト女神への奉納品として作られたミイラです。巡礼者が神殿で購入し、神への祈りとともに奉納しました。これが猫ミイラの大多数を占めています。現代でいえば、神社でお守りを買って奉納するような感覚に近いかもしれません。

3. 食料備蓄としてのミイラ

死者が来世で食べるために、食料としてミイラ化された猫もありました。これは猫に限らず、魚や鳥のミイラも同様の目的で作られています。

この3つの中で、現代の倫理観から最も問題視されるのが、2番目の「奉納用ミイラ」です。

猫ミイラ産業の闇──大量生産と「聖なる矛盾」

ここからが、猫ミイラの本当に興味深い──そして少し居心地の悪い──部分です。

奉納用の猫ミイラには、膨大な需要がありました。バステト信仰が盛んだった紀元前700年〜紀元前200年頃、エジプト各地の神殿には年間数万体の猫ミイラが奉納されていたとされています。1888年にベニ・ハサン近郊で発見された猫墓地からは、推定30万体以上の猫ミイラが出土しました。

これだけの数を「自然死した猫」だけで賄えるわけがありません。研究者たちは、猫ミイラの需要を満たすために、猫の「繁殖場(ブリーディング・ファーム)」が存在していたと考えています。

2015年のマンチェスター大学による研究では、CTスキャンで調べた猫ミイラの約3分の1が空だった、あるいは猫の骨の一部しか入っていなかったことが判明しました。さらに、多くの猫ミイラに頸椎の脱臼や骨折の痕跡が見られ、意図的に殺されたことを示す証拠が見つかっています。猫の大半が2〜4ヶ月齢の若い個体だったことも、計画的な繁殖と殺処分を示唆しています。

猫を神聖視しながら、その神聖さを「商品化」するために猫を大量に繁殖させ、殺し、ミイラにして売る。これが古代エジプトの「聖なる矛盾」です。

数字で見る猫ミイラの規模

項目 数値・内容
ベニ・ハサンの猫墓地の出土数 推定30万体以上
猫ミイラ産業の最盛期 紀元前700年〜紀元前200年
CTスキャンで空だった割合 約3分の1(マンチェスター大学2015年調査)
殺処分された個体の平均年齢 2〜4ヶ月齢
バステト大祭の参加者数 約70万人(ヘロドトス記録)

猫ミイラのその後──19世紀の悲劇

古代エジプトの猫ミイラの運命は、エジプト文明の終焉後も続きます。19世紀のヨーロッパでは、エジプトの遺跡発掘が盛んに行われ、大量の猫ミイラが発見されました。

1888年にベニ・ハサンで発見された30万体の猫ミイラの大半は、なんとイギリスに船で運ばれ、農業用の肥料として粉砕されました。1トンあたり約3ポンド13シリングで競売にかけられたという記録が残っています。何千年もの間、神聖な奉納品として保管されてきたミイラが、畑の肥やしになった。歴史のアイロニーとしか言いようがありません。

現在、猫ミイラはロンドンの大英博物館、パリのルーブル美術館、カイロのエジプト考古学博物館など、世界各地の博物館で展示・保存されています。近年はCTスキャンやDNA分析などの非破壊検査技術の進歩により、ミイラを傷つけることなく内部構造を調べることが可能になっています。

猫ミイラが教えてくれること

猫ミイラの歴史を見ていると、人間と猫の関係の複雑さに気づかされます。

古代エジプト人は間違いなく猫を愛していました。ペットの死を悼み、来世でも共にいたいと願った。しかし同時に、その「愛」を産業化し、猫を大量に繁殖させ、殺し、売った。世界の猫文化比較──日本・トルコ・エジプト・イギリス・台湾。同じ「猫好き」でも、こんなに違うと、猫への態度にはつねに光と影があることがわかります。

この矛盾は、現代にも通じる問題です。私たちは猫を愛しながら、ペットショップで猫を「購入」し、飽きたら捨てる人もいる。保護猫の里親になる方法。譲渡会から迎え入れるまでの全記録という選択肢が広がりつつある今だからこそ、4,000年前の猫ミイラが問いかける「愛と消費の境界線」について考える価値があるのではないでしょうか。

黒猫は不吉か幸運か。国によって真逆になる黒猫の文化史でも触れましたが、猫に対する人間の態度は時代とともに変わり続けています。古代エジプトの猫ミイラは、その変遷の最も劇的な出発点なのです。

よくある質問

Q. 猫ミイラは現在どこで見ることができますか?

大英博物館(ロンドン)、ルーブル美術館(パリ)、メトロポリタン美術館(ニューヨーク)、エジプト考古学博物館(カイロ)などで常設展示されています。日本では、古代エジプト展などの特別展で展示されることがあります。大英博物館の猫ミイラコレクションは特に充実しており、無料で見学できます。

Q. 猫以外の動物のミイラもあったのですか?

はい、古代エジプトでは猫以外にも、トキ(知恵の神トトへの奉納)、ワニ(ソベク神)、ハヤブサ(ホルス神)、犬(アヌビス神)、牛(アピス神)など、多くの動物がミイラにされました。動物ミイラの総数は数百万体に達するとされ、猫ミイラはその中でも最も多いカテゴリの一つです。

Q. 猫のミイラ作りにはどれくらいの費用がかかったのですか?

正確な費用は記録が少なく不明ですが、奉納用の安価なミイラから、ペット用の高級ミイラまで幅があったとされています。裕福な家庭のペット猫ミイラは、精巧なブロンズ棺や宝石の装飾が施され、現代の価値で数十万円相当だったと推定する研究者もいます。一方、奉納用の簡素なものは、一般市民でも手が届く価格だったと考えられています。

まとめ

古代エジプト人が猫をミイラにした理由は、「神聖だったから」であり、「来世でも一緒にいたかったから」であり、同時に「それが巨大な産業だったから」です。愛と信仰と商業が一体となった猫ミイラの歴史は、人間が動物に向ける感情の複雑さそのものです。4,000年前の猫ミイラが今の私たちに問いかけているのは、「あなたの猫への愛は、本当に猫のためのものですか?」という、少し痛い問いかもしれません。

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執筆:URAYAMA NO NEKO / Tetsu Onodera

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