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浮世絵の中の猫たち。江戸時代の猫ブームを読む

いま私たちがSNSで猫の写真に「いいね」を押す感覚は、江戸時代の人々が浮世絵の猫に歓声を上げた感覚と、実はそう遠くないのかもしれません。

江戸後期、日本には現代をも凌ぐ空前の猫ブームがありました。浮世絵師たちはこぞって猫を描き、歌舞伎には化け猫が登場し、養蚕農家は猫絵をお守りとして蚕室に貼りました。猫は「かわいい」だけでなく、暮らしの実用品であり、信仰の対象であり、風刺の道具であり、エンターテインメントの主役だったのです。

この記事では、浮世絵に描かれた猫たちを手がかりに、江戸時代の猫ブームの全体像を読み解いていきます。なぜ、あの時代に猫が爆発的に描かれたのか。その「なぜ」を追うことで、現代の猫カルチャーの根っこが見えてきます。

目次

なぜ江戸は「猫の時代」になったのか

江戸時代の猫ブームには、いくつかの社会的背景がありました。単なる「猫かわいい」では片づけられない、都市と産業と出版の構造がそこにあります。

都市化とネズミ問題

江戸は18世紀には人口100万を超える世界最大級の都市に成長していました。人口が密集すれば食料の保管が増え、ネズミも増えます。ネズミ退治の実用的なパートナーとして、猫の需要は高まり続けました。猫は「かわいいから飼う」ものではなく、「いないと困るから飼う」ものだったのです。

養蚕業と猫の経済的価値

蚕はネズミの大好物であり、養蚕農家にとって猫は蚕を守る守護獣でした。優秀なネズミ捕りの猫には馬の5倍の値がついたという記録もあります。猫を買えない農家は「猫絵」を蚕室に貼り、ネズミ除けのまじないとしました。群馬県の新田岩松家が下付した「新田猫」の絵は、養蚕農家の間で広く信仰されていたことで知られています。猫を祀る神社が日本にある。猫神信仰の全記録の原点は、この養蚕文化にあります。

出版文化の成熟──「江戸のSNS」

江戸後期には木版印刷技術が発達し、浮世絵は庶民が手軽に買える大衆メディアとなりました。1枚あたり蕎麦一杯分(16〜20文、現在の300〜400円程度)。現代のSNSのように、流行が版画を通じて瞬時に広がる環境が整っていたのです。人気絵師が猫を描けば、江戸中がその猫で持ちきりになりました。

ここに決定的な追い風が吹きます。天保の改革(1841〜1843年)です。幕府が奢侈を禁じ、役者絵や美人画が規制されました。それまで人気コンテンツだった歌舞伎役者や花魁の浮世絵が出せなくなった。絵師たちは代替モチーフを必要としていました。そこに登場したのが猫です。猫なら規制に引っかからない。しかも庶民に大人気。猫ブームの爆発には、この「規制による空白」が大きく作用していたのです。

歌川国芳──猫を「アート」に昇華させた男

江戸の猫ブームを語る上で、歌川国芳――江戸のストリートアーティストは無類の猫好きだった(1797〜1861年)を避けて通ることはできません。

国芳は武者絵と風刺画で名を馳せた浮世絵師ですが、同時に猫を描かせたら右に出る者がいない「猫の絵師」でもありました。自宅兼アトリエには常に十数匹の猫が暮らし、懐に子猫を入れたまま筆を走らせるのが日常。亡くなった猫には戒名をつけて仏壇に位牌を並べていたといいます。弟子の回想によれば、国芳のアトリエでは人間より猫の方が偉そうにしていたとのことです。

「猫飼好五十三疋」──東海道を猫で走破する

国芳の猫作品で最も有名なのが「其まま地口 猫飼好五十三疋(みゃうかいこう ごじゅうさんびき)」(1848年頃)です。歌川広重の「東海道五十三次」の各宿場名を猫にまつわるダジャレ(地口)に変換し、それぞれの語呂合わせを猫のイラストで表現した大作。

たとえば、「日本橋」は「にほんだし」(鰹節をくわえた猫)、「品川」は「しながわ」(品定めする猫)。日本橋から京都まで55の宿場すべてを猫で描き切るという、ユーモアと知性と猫愛が凝縮された作品です。現代で言えば、47都道府県すべてを猫のダジャレイラストで表現するようなもの。その労力と遊び心に唸ります。

「猫の当字」──世界初の猫フォント

もうひとつ特筆すべきは「猫の当字(あてじ)」シリーズ。「たこ」「ふぐ」「うなぎ」「かつお」といった文字を、複数の猫が体を曲げたり重なったりして形作る作品群です。いわば「猫フォント」。現代のタイポグラフィデザイナーが見ても唸るであろう、文字とイラストの境界を溶かす実験的な仕事でした。

国芳のすごさは、猫を「かわいいモチーフ」ではなく「表現の道具」として使いこなしたことにあります。風刺、ダジャレ、タイポグラフィ、ファッション。猫を通じてあらゆるジャンルを横断した。それは200年後の現代の猫ミーム文化にも通じる、猫の汎用性の証明です。

国芳だけではない──猫を描いた絵師たち

猫を描いたのは国芳だけではありません。江戸後期から明治にかけて、多くの絵師が猫をモチーフにしました。

  • 歌川広重:「東海道五十三次」で知られる風景画の巨匠ですが、美人画の背景や窓辺にさりげなく猫を配する名手でもありました。丸くなって眠る猫、窓から外を見つめる猫。広重の猫は「暮らしの中の猫」として、生活の温もりを伝えています。名所絵の中の猫を探す楽しみは、現代の「ウォーリーを探せ」に近いかもしれません
  • 葛飾北斎:「北斎漫画」には動物のスケッチが多数含まれており、猫の動きを正確に捉えたデッサンも残されています。北斎の猫は観察に基づくリアリズムが特徴。毛並みの描写、筋肉の動き、跳躍の瞬間。北斎にとって猫は「かわいい」ではなく「美しい構造体」だったのでしょう
  • 河鍋暁斎:幕末から明治にかけて活躍した暁斎は、国芳の系譜を継ぐ猫好き絵師。踊る猫や宴会を開く猫など、ユーモアたっぷりの猫戯画を多数残しました。暁斎の猫は国芳よりもさらに自由奔放で、「もう人間より猫の方が楽しそう」と思わせる作品が多い
  • 歌川芳藤:国芳の弟子で「おもちゃ絵」の名手。子ども向けの切り抜き絵として猫を多く描き、猫が庶民の「遊び」の一部になっていたことを伝えています
  • 竹久夢二:明治〜大正の画家ですが、叙情的な猫の絵を多く残しています。浮世絵の猫が「動」ならば、夢二の猫は「静」。猫の表現が、江戸の活気から大正のセンチメンタルへと移行していく過程が見えます

これだけ多くの絵師が猫を描いたという事実そのものが、江戸の猫ブームの規模の大きさを物語っています。

化け猫と猫又──恐れと敬いの二面性

江戸時代の猫文化には、「かわいい」だけではない暗い面もありました。化け猫と猫又(ねこまた)の存在です。

長く生きた猫は尻尾が二つに分かれ、「猫又」になると信じられていました。猫又は人間に化け、時に恨みを晴らすために復讐する妖怪として恐れられました。歌舞伎では「鍋島の化け猫騒動」を題材にした演目が大人気を博し、頬被りをして踊る化け猫の姿は、江戸の人々を震え上がらせると同時に熱狂させました。

浮世絵にも化け猫は頻繁に描かれています。行灯(あんどん)の油を舐める猫、二本足で立ち上がって踊る猫、手拭いを被って人間に化ける猫。これらの作品には、猫という身近な動物に対する畏怖と敬意が入り混じっています。

面白いのは、化け猫が「完全な悪」としては描かれていなかったことです。恐ろしいけれど、どこか愛嬌がある。怖いけれど、目が離せない。この「かわいい」と「こわい」の共存は、現代のホラー映画に登場する猫の扱いにもそのまま受け継がれています。猫の二面性を受け入れることが、猫を深く理解するということなのかもしれません。

招き猫の誕生──猫が「福」を招くまで

江戸時代の猫ブームは、やがて猫を「縁起物」として定着させます。その象徴が招き猫のルーツを辿る。豪徳寺と今戸神社、どっちが発祥か問題です。

招き猫の起源にはいくつかの説がありますが、有名なのは東京・世田谷の豪徳寺説です。彦根藩主・井伊直孝が鷹狩りの帰りに豪徳寺の前を通りかかった際、寺の猫が手招きするように手を上げていたので立ち寄ったところ、直後に雷雨が降り出し難を逃れた。直孝はこれに感謝し、寺を手厚く庇護したと伝えられています。

嘉永5年(1852年)頃には、浅草の今戸焼で招き猫の人形が作られ始め、庶民の間に急速に広まりました。猫が実際にネズミを退治し、蚕を守り、商売繁盛を招く。江戸の人々にとって猫は、目に見える「福」をもたらす存在だったのです。

招き猫の右手と左手にも意味があります。右手を上げているのは「金運」を招き、左手を上げているのは「客」を招くとされています。両手を上げた欲張りな招き猫もありますが、「お手上げ」に通じるとして嫌う人もいるそうです。縁起物にも奥が深い。

浮世絵の猫と現代の猫ミーム──200年の直線

ここまで読んで気づいた方もいるでしょう。江戸時代の猫ブームと現代の猫ブームは、驚くほど似ています。

江戸時代 現代
浮世絵(大量印刷メディア)で猫が拡散 SNS(デジタルメディア)で猫が拡散
猫の擬人化戯画(着物を着た猫) 猫ミーム・猫コスプレ
猫飼好五十三疋(猫ダジャレ作品) 猫関連のハッシュタグ・大喜利
猫の当字(猫フォント) 猫の顔文字・猫スタンプ
国芳のアトリエ(猫だらけの仕事場) 猫カフェ・猫のいるオフィス
おもちゃ絵(猫の切り抜き遊び) 猫グッズ・ガチャポン
化け猫の怪談歌舞伎 ホラー映画の猫・不気味な猫動画
招き猫の縁起物信仰 猫神社巡り・猫の御朱印ブーム

メディアが浮世絵からスマホに変わっただけで、人間が猫に求めるものは200年間ほとんど変わっていません。かわいさ、面白さ、癒し、畏怖、縁起。猫という動物が持つ多面的な魅力が、時代ごとの最適なメディアを通じて繰り返し消費されてきた。猫アートの全史。浮世絵からNFTまで、猫は常にアートの中心にいたを俯瞰すると、その連続性がはっきり見えてきます。

浮世絵の猫に会える場所

浮世絵の猫を実際に見たい方のために、主要な所蔵施設をまとめます。

  • 太田記念美術館(東京・原宿):浮世絵専門の美術館。国芳や広重の猫作品を含む1万4,000点以上の浮世絵を所蔵。猫をテーマにした企画展も定期的に開催されています
  • すみだ北斎美術館(東京・両国):葛飾北斎の作品を中心に展示。北斎漫画の猫デッサンを見ることができます
  • 河鍋暁斎記念美術館(埼玉・蕨):暁斎の猫戯画を含む作品を所蔵する小さな美術館。猫好きなら一度は訪れたい場所です
  • 仙台市博物館:2026年に「もしも猫展」を開催。歌川国芳の擬人化猫を中心とした大規模展覧会です。2026年の猫アート展まとめ。行くべき展覧会カレンダーでも紹介しています

引用・出典

浮世絵に登場する様々な動物のなかでも、ペットとして最も多く描かれたのは猫で、踊ったり学校に通ったりする擬人化された猫、化け猫、メス猫の一代記など、あらゆる姿で表現されていた。

出典: 太田記念美術館「江戸にゃんこ 浮世絵ネコづくし」展解説

養蚕地方ではネズミ捕りに長けたネコは、馬の5倍の値がつくほどであった。猫を買えない農家は「猫絵」を蚕室に貼り、ネズミ除けのまじないとした。

出典: 東京新聞「ネズミよけと豊作祈願 養蚕の守り神『新田猫』」

「其まま地口 猫飼好五十三疋」は嘉永元年(1848年)頃の作品で、東海道五十三次の宿場名を猫のダジャレで表現した、国芳の猫好きの面目躍如たる大作である。

出典: アダチ版画研究所「お猫様の東海道 猫飼好五十三疋」

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よくある質問(FAQ)

Q. 江戸時代の猫ブームはいつ頃がピークでしたか?

天保年間(1830〜1844年)から幕末にかけてがピークです。天保の改革で役者絵や美人画が規制されたことが転機となり、猫の擬人化や猫の戯画が代替コンテンツとして急増しました。歌川国芳の猫作品が爆発的に売れた1840年代は、まさに猫ブームの頂点と言えます。皮肉なことに、幕府の規制が猫ブームを加速させたのです。同時期に招き猫の人形も普及し始め、猫は浮世絵・歌舞伎・工芸品など、あらゆるジャンルで主役を務めていました。

Q. 浮世絵で猫を最も多く描いた絵師は誰ですか?

歌川国芳です。国芳は確認されているだけで5,300枚以上の錦絵を残しており、その中で猫が登場する作品は非常に多数に上ります。「猫飼好五十三疋」「猫の当字」シリーズ、猫の擬人化戯画など、猫を主役にした作品ジャンルを数多く生み出しました。自宅で常に十数匹の猫を飼い、猫の仕草を日常的に観察していたことが、そのリアルで愛情あふれる描写の源泉になっています。現代でいえば、猫を飼いながら猫の絵を描き続けるイラストレーター。200年前にそれをやっていたのが国芳です。

Q. 江戸時代の猫ブームと現代の猫ブームに共通点はありますか?

驚くほど多くの共通点があります。江戸では浮世絵(大量印刷される視覚メディア)で猫が拡散されましたが、現代ではSNSがその役割を果たしています。猫の擬人化は現代の猫ミームに、猫グッズ文化はおもちゃ絵に、猫カフェは国芳のアトリエに、それぞれ対応しています。「かわいい」と「こわい」の二面性、縁起物としての信仰、アートの題材としての人気。猫を取り巻く文化の構造は、200年前からほとんど変わっていません。変わったのはメディアだけです。

まとめ

江戸時代の浮世絵には、現代の猫カルチャーの原型がすべて詰まっています。ネズミ退治の実用動物から、天保の改革による規制を追い風に浮世絵の大スターへ。歌川国芳は猫を風刺の道具に、ダジャレの素材に、タイポグラフィの実験台にし、猫の表現の可能性を極限まで広げました。化け猫への畏怖、招き猫への信仰、そして純粋な愛玩。江戸の猫文化の多層性は、SNSで猫に「いいね」を押す私たちが、実は200年前の江戸っ子と同じ衝動で猫を愛していることを、静かに教えてくれます。

URAYAMA NO NEKOについて

URAYAMA NO NEKOは、猫カルチャーを発信するブランドです。猫のいる風景、猫と暮らす空間、猫が登場するアートやデザイン。猫を取り巻く文化のすべてを、カルチャーメディアとして記録し、発信しています。オリジナルグッズはこちら → SHOP

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執筆:URAYAMA NO NEKO / Tetsu Onodera

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