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歌川国芳――江戸のストリートアーティストは無類の猫好きだった

もし江戸時代にInstagramがあったら、最もフォロワーが多かった浮世絵師は間違いなくこの男です。

歌川国芳(1797〜1861年)。武者絵で名を馳せ、骸骨や妖怪を描き、幕府を風刺して何度もお上に呼び出された反骨の絵師。同時に、アトリエには常に十数匹の猫がひしめき、懐に子猫を入れたまま筆を走らせた無類の猫好き。権力にNOを突きつけながら、猫を抱いて笑っていた男。バンクシーが壁にスプレーを吹くように、国芳は版木に刃を入れて江戸の空気を切り裂きました。

この記事では、「江戸のバンクシー」とも呼ぶべき国芳の生涯を、猫への偏愛と反骨精神という2本の軸から読み解きます。

目次

染物屋の息子、浮世絵の世界へ

国芳は寛政9年(1797年)、江戸日本橋の染物屋「柳屋」に生まれました。父・吉右衛門の店で色彩感覚を磨いた少年は、12歳のときに描いた鍾馗(しょうき)の絵が初代歌川豊国の目に留まり、15歳で豊国に入門します。

しかし、才能が開花するまでには長い下積みがありました。兄弟子の国貞(のちの三代豊国)が美人画で人気を博す一方、国芳は長らく無名のまま。転機は天保初年(1830年頃)、「通俗水滸伝豪傑百八人之一個」シリーズでした。中国の英雄たちを圧倒的な躍動感で描いたこの武者絵シリーズが爆発的にヒットし、国芳は一気にスター絵師の仲間入りを果たします。

だが、国芳が本当に面白くなるのはここからです。

天保の改革と「江戸のバンクシー」

天保13年(1842年)、老中・水野忠邦による天保の改革が始まります。役者絵や美人画の出版が禁止され、浮世絵界は大打撃を受けました。多くの絵師が萎縮するなか、国芳だけは違いました。

代表的な風刺作品が「源頼光公館土蜘作妖怪図」(1843年頃)です。表向きは平安時代の武将・源頼光が土蜘蛛の妖怪を退治する古典的な題材。しかし実態は、国家の危機に惰眠をむさぼる将軍・徳川家慶への痛烈な批判でした。国芳は歴史や物語の「ガワ」を被せることで、検閲をかいくぐりながらメッセージを届けたのです。

何度も奉行所に呼び出され、罰金を取られ、始末書を書かされても、国芳の筆は止まりませんでした。それどころか、取り締まりを受けるたびに江戸の庶民からの人気はさらに高まったといいます。

壁にスプレーで反体制のメッセージを描き、正体不明のまま世界を熱狂させるバンクシー。版木に刃を入れて幕府を風刺し、お上に呼び出されても笑って筆を止めなかった国芳。時代も手法も違いますが、「アートを武器に権力へNOを突きつける」という姿勢において、両者は明確に共鳴しています。

アトリエは猫だらけだった

反骨のストリートアーティスト。しかし、その素顔は筋金入りの猫バカでした。

国芳のアトリエには常に数匹から十数匹の猫が出入りしていたと伝えられています。弟子の歌川芳宗(よしむね)の証言によれば、国芳は懐に子猫を入れたまま絵を描くのが日常だったそうです。猫たちは画室を自由に歩き回り、版木の上に寝そべり、絵具を踏んで足跡をつけることもあったでしょう。

さらに印象的なのは、猫が亡くなったときの国芳の振る舞いです。死んだ猫は近くの寺に送って供養し、自宅には猫のための仏壇を設け、戒名(かいみょう)までつけて位牌を並べていたといいます。江戸時代にペットの仏壇をつくる人間は、そう多くはなかったはずです。

この猫への偏愛は、当然のように作品に溢れ出しました。

猫の代表作――「猫飼好五十三疋」と猫の当字

国芳の猫作品の中でも最高傑作と呼べるのが、「其まま地口 猫飼好五十三疋(みゃうかいこう ごじゅうさんびき)」(1848年頃)です。

東海道五十三次の各宿場の名前を猫にまつわるダジャレに変換し、その言葉遊びを猫のイラストで表現した作品。「地口(じぐち)」とは語呂合わせ、つまりダジャレのこと。日本橋から京都まで55の宿場すべてを猫で描き切るという、気の遠くなるような大作です。

猫たちはそれぞれの宿場名に合わせた仕草やポーズを取り、時にはその土地の名産品とともに描かれます。単なるかわいい猫の絵ではなく、東海道の地理・文化・風俗の知識とユーモアセンスが高密度で圧縮された知的エンターテインメントです。

もうひとつの傑作が「猫の当字(あてじ)」シリーズ。「かつを」「たこ」「なまづ」「ふぐ」「うなぎ」といった魚介類の名前を、複数の猫が体を曲げたり重なったりして文字の形をつくるという作品群です。いわば「猫フォント」。現代のタイポグラフィデザイナーが見ても唸るであろう、文字と絵の境界を溶かす実験的な仕事です。

擬人化された猫たち――風刺の切り札

国芳にとって、猫は「かわいい」だけの存在ではありませんでした。猫は風刺の道具であり、検閲を回避するための最強のカモフラージュでもあったのです。

天保の改革で役者絵が禁止されると、国芳は歌舞伎役者の顔を猫の顔に置き換えて描きました。人間の顔を描けないなら、猫にしてしまえばいい。この発想の転換は、まさにストリートアーティストの機転です。

「猫のけいこ」(1841年)では、師匠格の猫が着物を着て弟子の猫たちに芸事を教える場面が描かれています。師匠の着物の柄は鈴、小判、猫の足跡、目刺しが放射線状に並び、裾からは裏地のスルメが覗く。猫の好物尽くしで着飾った師匠が、偉そうに猫たちを指導している。一見ほのぼのとした猫の戯画ですが、そこには権威を笑い飛ばす国芳の視線が確実に宿っています。

また「鼠よけの猫」(1841年)は、ネズミ除けのお守り絵として販売された作品ですが、今にも動き出しそうなリアルな猫の迫力は、単なるお守り絵の域をはるかに超えています。国芳の猫の観察眼がいかに鋭かったかを証明する一枚です。

現代アートとの接続点

国芳の仕事を現代の文脈で見ると、驚くほど多くのジャンルと接続していることに気づきます。

  • ストリートアート:権力への風刺を大衆向けメディア(浮世絵)で発表するスタンスは、バンクシーやシェパード・フェアリーに通じます
  • ポップアート:大量印刷される版画というメディアで、大衆文化(歌舞伎、ダジャレ、猫)を題材にする。アンディ・ウォーホルが缶スープを描いた100年以上前に、国芳は猫でポップアートをやっていました
  • タイポグラフィ:「猫の当字」シリーズは、文字と図像の境界を溶解させる実験であり、現代のグラフィックデザインやカリグラフィアートの先駆けです
  • キャラクターデザイン:猫を擬人化し、感情や物語を持たせる手法は、現代の漫画・アニメ文化の源流のひとつとも言えます

国芳は確認されているだけで5,300枚以上の錦絵を残しました。その膨大な作品群の中で、猫は繰り返し登場するモチーフであり続けた。猫は国芳にとって、愛玩動物であると同時に、表現の自由そのものだったのかもしれません。

猫とアートの深い関係を知る。URAYAMA NO NEKOの最新情報はInstagramで → @urayamanoneko

引用・出典

国芳は反骨と風刺の精神に富んだ作品群で知られ、天保の改革下でも幕府を風刺する浮世絵を描き続けた。奉行所に何度呼び出されてもその筆は止まることがなかった。

出典: 太田記念美術館「浮世絵猫百景―国芳一門ネコづくし」展解説

国芳のアトリエには常に猫が十数匹おり、亡くなった猫には戒名をつけ、自宅に仏壇を設けて位牌を並べていたと弟子の芳宗が伝えている。

出典: アダチ版画研究所「国芳の猫愛を深く堪能する」

「其まま地口 猫飼好五十三疋」は嘉永元年(1848年)頃の作品で、東海道五十三次の宿場名を猫のダジャレで表現した、国芳の猫好きの面目躍如たる大作である。

出典: アダチ版画研究所「お猫様の東海道 猫飼好五十三疋」

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よくある質問(FAQ)

Q. 歌川国芳はなぜそこまで猫を描いたのですか?

国芳は自宅兼アトリエで常に十数匹の猫を飼い、懐に子猫を入れたまま絵を描くほどの猫好きでした。亡くなった猫には戒名をつけ、仏壇に位牌を並べていたという記録も残っています。この日常的な猫との暮らしが、膨大な猫作品の原動力になりました。加えて、天保の改革で役者絵や美人画が禁止された際に、猫の擬人化で検閲を回避するという実用的な理由もあったとされています。

Q. 「猫飼好五十三疋」とはどんな作品ですか?

嘉永元年(1848年)頃に制作された作品で、東海道五十三次の各宿場の名前を猫にまつわるダジャレ(地口)に変換し、その語呂合わせを猫のイラストで表現したものです。日本橋から京都まで55の宿場すべてを猫で描き切った大作で、東海道の地理・文化の知識とユーモアが凝縮された、国芳の猫作品の最高傑作のひとつです。

Q. 国芳を「江戸のバンクシー」と呼ぶのはなぜですか?

両者には「大衆メディアを使って権力に風刺を仕掛ける」という共通の姿勢があります。バンクシーが街の壁にスプレーでメッセージを描くように、国芳は大量印刷される浮世絵(版画)という大衆メディアを使って幕府を批判しました。取り締まりを受けてもやめなかった反骨精神、ユーモアを武器にする手法、そして匿名性こそありませんが「アートで社会に物申す」という本質において、国芳はバンクシーの200年前の先駆者と言えます。

まとめ

歌川国芳は、武者絵と風刺画で幕末の江戸を熱狂させた浮世絵師であり、同時に猫を誰よりも深く愛し、描き続けた猫アーティストでした。アトリエに猫を住まわせ、亡き猫に戒名をつけ、猫を擬人化して権力を笑い飛ばした。「猫飼好五十三疋」「猫の当字」に代表される作品群は、ユーモアと知性と反骨精神が溶け合った、江戸のストリートアートそのものです。国芳の猫を見ることは、200年前の江戸に生きた自由な精神と出会うことでもあります。

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執筆:URAYAMA NO NEKO / Tetsu Onodera

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